知り合いの工務店さんより久しぶりに連絡がありました。

その工務店さんは古道具も多数コレクションされていて

私も古いフイルムカメラを多数譲っていただいた方です。

 

連絡の内容は

「整理をしていたら古いハガキが見つかった」

それと1枚の画像でした。

 

快くお譲りいただきスタジオのお迎えしました。

 

【岩熊隧道口の眺望】そう書かれた1枚

そこには着物姿の女性が山の中腹から琵琶湖の最北端の奥琵琶湖を見下ろす姿が写っていました。

遠い昔の写真でも私が見てどの辺りからどこを見ているのかある程度はわかりましたが

もっと詳しく知りたいと思い

 

近所に住む昔から村の記録を撮り溜めている80代のおじ様にハガキを見てもらいました。

 

おそらく昭和10年代頃

一本松峠といわれた場所だそう

近くには2本杉峠という場所もあったと

 

正面には紫式部も降り立った塩津港があり、

岩熊の干拓地がまだ出来ていない為、昭和10年代ではないかとのこと

 

岩熊の干拓地に関しては

昭和20年代に国の政策の元、当時の学生達が当時は岩熊のお寺に寝泊まりして干拓地の作業に遠方より参加して行った。

今では農地(主にお米の生産地)となっている

 

今年が昭和100年ということは

ここに写っている景色は約90年の景色

 

名残も残りつつ

今も変わり続けている景色

 

1枚の写真を手に近所のおじ様と話し込み

昭和から今に至るまでの村のあれこれを色々と教えていただきました

 

話しの後半には

この話しに興味を持って聞いてくれる人が今は少ないというかいないとの事

私も写真を通じて知ることができたが、なかなか興味を持つ人は少ないと思う。

 

ただ今私が聞いた話しを今聞かなかったら

おそらく今後伝わっていかないし誰も知らない話しになってしまうのだと思った

 

おおよそ90年前の1枚が私のところに流れ着いてくれたおかげで

この1枚は100年上は存在し続けられる1枚になったと嬉しく思った

 

私が今スタジオや出張で撮影した写真が

100年後にご家族や誰かの手に繋がっていけたら最高では!と思いました

色は褪せるけど残るし繋がる

 

 

今しか撮れない写真を今後も撮って行きたいと

改めて思いました。